卵巣がんからの生還

2019.がん発覚から生還までの記録

②思い込みは誤ちの第1歩⑴

2019年1月 めでたく還暦を迎えた自分に、まさかの卵巣がんステージIII発覚!
生還までの記録が誰かの為になればとブログ始めます。



個人病院の検査でがんが発覚し紹介してもらったA大学病院。
ここを訪れるのは実は初めてではありません。

なんと2018年12月、がん発覚のわずか4カ月前に入院・手術したばかりの病院です。

思い返せば身体の不調は2018年10月からあったのです。

更に遡ること2018年4月は娘の結婚式で、幸せに満ち溢れた日々を送っていました。

結婚式が終わって「空の巣症候群」になったら嫌だと思っていた私は、タイミングよく憧れのベートーヴェン第九交響曲合唱に参加する幸運に恵まれ5月から練習に参加しました。

本番は10月中旬。
仕事はフルタイムで週5。
90歳台の同居義母の介護は幸い介護1なのでなんとかできていました。
80歳台の別居実母は年金がないので私が働いたお金を毎月送金していました。
健康には自信があったし。


合唱の練習は本格的でとても楽しかったです。
ドイツ語の暗譜には苦労したけれど、発声練習やドイツ語の発音・パート練習を経て10月の本番を楽しみにしていたある日、違和感が襲ってきたのです。

腹圧をかけて発声していると、おへその右と骨盤の間に痛みが。
触るとピンポン玉より小さいくらいの塊があります。
「ヘルニアかな?」

35年前、右鼠蹊部に2㎝くらいの塊が触れヘルニアと診断されたことがあったのです。手で押すと引っ込みそれ以上悪くなることもなかったので放置していました。

本番でヘルニアが破れでもしたら一大事。
個人の外科へ行くとA大学病院を紹介されました。
その頃、痛みと塊は右側鼠蹊部に下がっていて歩く時痛くて足を引きずっていました。

「先生、ヘルニアです。合唱の本番、大丈夫でしょうか?」
エコーと触診で導き出されたのは「ヌック管水腫」の診断。
ヘルニアは腸の一部が腹壁の間から出てくる病気ですが、ヌック管水腫は女性特有の臓器。
通常は大人になる過程でなくなるそうですが、残っていても痛みなどなければ放置しておいてよいものとのこと。

「合唱の本番は無理ないようにして、その後の手術はいつでもいいので検討してください。」


続きは次回へ。